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大阪高等裁判所 平成5年(ネ)1588号 判決

控訴人

中井悠紀雄

右訴訟代理人弁護士

中野貞一郎

浦田和栄

村林隆一

今中利昭

吉村洋

松本司

辻川正人

東風龍明

片桐浩二

久世勝之

岩坪哲

田辺保雄

被控訴人

川上良一

右訴訟代理人弁護士

橋本長平

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)は、訴外亡川上英(以下「川上」という。)の所有であった。

2  川上は昭和六二年一〇月三日死亡したが、同人には相続人がいなかった。

3  そこで、被控訴人は、川上の特別縁故者として、京都家庭裁判所から、平成三年二月二二日本件建物の所有権の分与の審判(同庁平成二年家第一二四三号、同第一二六三号特別縁故者財産分与申立事件)を受け、同審判は確定したので、これに基づき、同年三月一四日本件建物につき被控訴人への所有権移転登記が経由された。

4  そうすると、被控訴人は本件建物の所有権を有するものである。

5  ところが、控訴人は、本件建物のうち、別紙物件目録二記載の付属建物の表示部分(以下「附属建物」という。)を占有している。

6  附属建物の賃料相当額は、一か月当たり一万八〇〇〇円を下らない。

7  よって、被控訴人は、控訴人に対し、所有権に基づき、附属建物を明け渡し、かつ前記移転登記経由日の翌日の平成三年三月一五日から右明け渡し済みまで一か月一万八〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし6の事実は認める。

2  同7は争う。

三  抗弁

1  控訴人は、昭和二四年五月ころ、川上から附属建物を賃借して、引き渡しを受け、爾来、右賃借権に基づき附属建物を占有しているものである。

2  そうすると、控訴人は、被控訴人に対し、右賃借権を対抗できるものである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

五  再抗弁

仮に、抗弁1記載の事実が認められるとしても、

1  控訴人は、京都地方裁判所に対し、被控訴人を被告として、請求の趣旨を「控訴人と被控訴人間に本件建物及び別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)につき、控訴人を賃借人、被控訴人を賃貸人とする賃貸借契約が存在しないことを確認する。」とする訴訟を提起(同庁平成三年(ワ)第一一三七号事件、以下「別訴事件」という。)したところ、被控訴人は平成三年七月一九日の右事件の第一口頭弁論期日において右請求を認諾し、その旨の調書が作成された。

2  右認諾調書は既判力を有するので、これにより、控訴人が附属建物につき賃借権を有することを認めることはできない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は認める。

2(一)  再抗弁2の主張は争う。

(二)(1)  請求の認諾は、裁判ではなく、私人たる当事者の行為にすぎなく、私人の行為は当然にそれ自体無効ということがあり得、裁判所が慎重な手続を重ねたうえで行う判決と異なり、常に瑕疵を伴いやすいので、直ちに判決と同じような最終的決着を認めることができない。したがって、請求の認諾調書は既判力を有しない。

(2) また、本件のように、後訴において既判力を認めると、明白に実体法上の状態に反する場合には、既判力は却けられ、裁判所はこれに拘束されない。そのような場合には、手続の単なる蒸し返しにならず、正しい裁判のために必要な安全弁を開くことが必要であるからである。

(3) そして、仮に、請求の認諾調書が既判力を有するとしても、

イ 前訴の訴訟物である、「本件建物の賃貸人が被控訴人でない。」という点に及ぶだけであって、控訴人が附属建物につき賃借権を有しないところまで及ぶものではない。

ロ 既判力は、後訴における裁判所の判断を拘束するだけで、当事者の実体状態の変動を生じさせるものでない。したがって、控訴人が附属建物につき有する賃借権が実体上消滅するわけではない。

七  再々抗弁

1  控訴人は、京都家庭裁判所の被控訴人を特別縁故者とする財産分与の審判が無効であるから、被控訴人は本件土地、建物につき所有権者でないとして、この主張を請求原因に表示して別訴事件を提起したものであるが、本来ならば、第三者の控訴人が前記審判の無効を主張することはできず、右審判は確定しているので、右請求原因は主張自体失当であるとして、別訴事件の請求は棄却されるべきであったことは明らかである。そして、控訴人が別訴事件で訴訟物として請求しようとしたものは、「被控訴人が本件建物についての賃貸借契約の賃貸人ではない。」との主張にほかならず、控訴人が附属建物の賃借人ではないことの確認を求めるまでの考えはなかったのである。

そうすると、控訴人の別訴事件における、控訴人と被控訴人間に本件土地、建物についての賃貸借契約不存在の主張は錯誤に基づくものであるから、これの認諾は錯誤により無効であるし、主張自体失当である請求についての認諾としても無効である。

ところで、請求の認諾は訴訟行為であって、訴訟行為の瑕疵は裁判所が職権で斟酌しなければならないので、表意当事者たる被控訴人のみならず、控訴人も右錯誤無効の主張をなし得るものである。

2  仮に、右主張が認められないとしても、被控訴人は、別訴事件において、控訴人の代理人が請求の趣旨の記載に当たってミスを犯したことに気付きながら、それを利用する意図で請求の認諾をなしたものであるから、右認諾は民訴法における信義則に反し、無効である。

3  控訴人は、昭和二四年五月ころ川上から附属建物を賃借して今日まで居住し、川上死亡直後の昭和六二年一一月分より相続人の氏名、住所が不明であることを理由に月額一万八〇〇〇円の賃料の供託を続けており、他方、被控訴人は、右の事実を熟知して、控訴人に対し平成三年三月二九日付け内容証明郵便で、控訴人が附属建物の賃借人であることを明記して、平成三年四月一日以降の賃料を被控訴人の口座へ送金するよう求めて、控訴人が附属建物の賃借人であることを認めていた。しかるに、控訴人が、被控訴人が本件土地、建物の所有者でなく、したがって、附属建物の正当な賃貸人でないことを明らかにするため、前記請求の別訴事件を提起したのを奇貨として、被控訴人は、従来控訴人が附属建物の賃借人であることを認めていたにもかかわらず、右請求を認諾のうえ、本件訴訟を提起して、控訴人に対し附属建物の明け渡しを求めるに至ったものである。

そうすると、被控訴人の右行為は、既判力の不当利用として、信義則に反し、また権利の濫用として、許されない。

八  再々抗弁に対する認否

1  再々抗弁の主張はすべて争う。

2  仮に、本件請求の認諾について錯誤があるとしても、

(一) 右認諾の意思表示をした被控訴人自身が錯誤の主張をする意思がないので、右表示者以外の控訴人は右意思表示の錯誤無効を主張することはできない。

(二) 控訴人において、家庭裁判所の特別縁故者に対する財産分与の審判が無効であると考えた点について錯誤があるとしても、右審判は適正な手続を経ている限り、有効に成立し、無効にならないことは法律知識の基本であるところ、これを弁護士として高度の専門性が要求される控訴人の訴訟代理人が軽率にも右審判が無効になると誤信したものであるから、重大な過失がある。そうすると、控訴人は錯誤の主張をすることができない。

(三) 控訴人は、主張自体失当である請求についての認諾は無効である旨主張するが、主張自体失当とは、請求原因の主張事実が仮に認められるとしても、請求の趣旨で示す訴訟物が認められないという関係にある場合を指すものであるところ、別訴事件においては、その請求原因事実が仮に認められるとすれば、賃貸借関係の不存在が認められることになるという関係にあるので、主張自体失当という場合には当たらない。

(四) 被控訴人は、控訴人に対し法の趣旨に基づいて内容証明郵便による書面を差し出して、賃料を支払うよう求める等正当な手続きを経たにもかかわらず、控訴人は被控訴人の右要求に一切の耳を貸さず、別訴事件を提起してきたものであるから、信頼関係はその時点でなくなり、控訴人の方に信義則を裏切る行為があったと言えても、被控訴人側には何ら信義則の違反はない。したがって、控訴人の信義則違反の主張は失当である。

(五) 一般論として、既判力の不当使用として権利の行使が制限される場合がありうることは否定できないし、これを認めた判例(最高裁昭和三七年五月二四日判決民集一六巻五号一一五七頁)もある。しかし、本件は、右判例において指摘された、前訴判決の後に事情の変更があるようなことは全くなく、しかも、別訴事件で控訴人が求めたとおりの判決が得られたとしたならば、どのようになるかは、控訴人、特に法律専門家(弁護士)たる控訴人訴訟代理人が確実に予測できたはずであり、実際、その予測できる内容と異なるような事情は生じていない。したがって、控訴人の既判力の不当使用ないし権利の濫用の主張は失当である。

第三  証拠

原審及び当審の各訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし6の事実は当事者間に争いがない。

二  しかし、弁論の全趣旨により真正に成立したことが認められる乙第四号証、控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は昭和二五年ころ川上から附属建物を賃借して、その引き渡しを受け、爾来、右建物に居住していることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  ところで、被控訴人は、別訴事件における請求の認諾調書の既判力により、控訴人が附属建物につき賃借権を有することを認めることはできない旨主張するのに対し、被控訴人は、これを争い、控訴人の右主張は信義則違反又は権利の濫用に当たるから許されない旨主張するので、これらの主張について検討を加える。

1  控訴人が別訴事件を提起し、被控訴人がその請求を認諾して当該調書が作成されたこと(再抗弁事実)は当事者間に争いがない。

2  しかして、民訴法二〇三条には、請求の認諾調書は確定判決と同一の効力を有する旨規定されており、請求の認諾は当事者の認諾という行為により成立するものであるが、右行為に私法上の無効原因がなく、又は取消原因があってその取消がなされない限り、認諾調書は確定判決と同一の効力、即ち、既判力を有すると解するのが相当である。

控訴人は右認諾調書は無制限に既判力を有しない旨主張するが、右法条の文言や趣旨に照らし、採用できない。

3  ところで、右請求の認諾がなされた経緯等について見るに、前記当事者間に争いがない事実に、前記乙第四号証、成立に争いがない同第一号証、第二号証の一ないし三、第三号証の一ないし四、第七号証の一ないし一二、控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人は、前記のとおり、川上から附属建物を賃借して、これに居住していたところ、川上が昭和六二年一〇月三日死亡し、その相続人が不明であったので、同人の相続人(氏名、住所が不明)宛賃料の弁済供託をなすようになったこと、ところが、被控訴人は、その後、前記のとおり、家庭裁判所から、川上の特別縁故者として本件土地、建物の所有権の分与の審判を受けたので、平成三年三月二九日ころ内容証明郵便をもって、控訴人に対し、右審判により、控訴人が川上から賃借中の建物の所有名義が被控訴人に移転したので、同年四月一日以降の賃料を被控訴人口座へ振込んで支払うよう通知したこと、これに対し、控訴人は、被控訴人は川上の特別縁故者に該当しないので、右審判は無効であると考え、弁護士山本太郎に相談したところ、同弁護士が控訴人の訴訟代理人として、別訴事件を提起したこと、右事件の請求の趣旨は、「控訴人と被控訴人間に本件土地、建物につき、控訴人を賃借人、被控訴人を賃貸人とする賃貸借契約が存在しないことを確認する。」、請求原因は、「控訴人は川上より本件土地、建物を賃借してきた。ところで、被控訴人が本件土地、建物の所有権を取得したと主張する前記審判で認定された事実は、事実に反するから、その効力は控訴人に及ばない。よって、控訴人は被控訴人に対し、本件土地、建物につき、控訴人と被控訴人間に賃貸借契約が存在しないことの確認を求める。」というものであること、しかし、控訴人やその訴訟代理人は、控訴人が附属建物の賃借人の地位を有しないことの確認を求める意思はなく、別訴事件における請求の真意は、前記審判の無効を理由に、被控訴人が本件土地、建物の賃貸人の権利を有しないことだけの確認を求めたものであり、したがって、右請求の趣旨の表現は、適切を欠き、一部真意でない内容を含んだ誤ったものになっているが、控訴人やその訴訟代理人はこれに気付かなかったこと、これに対し、前記のとおり、被控訴人の訴訟代理人橋本長平(弁護士)は早速右訴訟事件の第一回口頭弁論期日において右請求を認諾する旨の意思表示をなし、その旨の認諾調書が作成されたこと、控訴人は、その後も前記のとおり賃料の弁済供託を続けているが、これは、前記訴訟代理人の指導で、依然として、前記審判が無効であるとの判断のもとに遂行しているものであることが認められ、右認定事実によれば、前記認諾をなした被控訴人ないしその訴訟代理人は、別訴事件における控訴人の請求の趣旨が前記のとおり適切を欠き、一部誤っていることに気付いていたが、被控訴人に有利であると判断して認諾をなしたものであることが推認でき、これらの認定を覆すに足りる証拠はない。

4  控訴人は、別訴事件は主張自体失当の請求を掲げたものであるから、その請求の認諾はこの点から無効である旨主張する。しかし、前記認定のとおり、別訴事件の請求は、前記賃貸借契約の不存在の確認であって、その要件事実は単に右賃貸借契約の不存在を主張するだけで足り、前記審判の有効、無効は抗弁ないし再抗弁事実にかかる事柄であるというべきであるから、右請求自身は主張自体失当であるとはいえないので、控訴人の右主張は採用できない。

5  控訴人は、後訴において既判力を認めると明白に実体法上の状態に反する場合には既判力は却けられ、裁判所はこれに拘束されない旨主張するが、既判力をこのように制限して適用すべき合理的理由を見い出し難いので、右主張は採用しない。

6  控訴人は、前記認諾調書の既判力は、被控訴人が本件土地、建物につき賃貸人の権利を有しないことだけに生じ、控訴人が附属建物につき賃借権を有しないことには生じない旨主張する。しかし、請求の認諾調書の既判力は、その認諾された請求について生ずるものであるところ、別訴事件の請求の趣旨は前記認定のとおりであり、その請求は、被控訴人を賃貸人、控訴人を賃借人とする本件土地、建物についての賃貸借契約が存在しないことの確認を求めたものであって、被控訴人が賃貸人の権利を有しないことだけの確認を求めたものでないから、控訴人の右主張は採用できない。

7  控訴人は、既判力は当事者間の実体状態の変動を生じさせるものではない旨主張するところ、確かに、既判力によって当事者間の実体関係が直接変動を生じるものではないが、請求の認諾調書の既判力は、後訴において前訴の認諾された請求に拘束される効果を有するので、結果的に実体関係に変動が生じたと同様の状態が招来されることもあり得ることは否定できないところである。したがって、前記請求の認諾調書の既判力により、本件訴訟においては、控訴人が従来附属建物に有していた賃借権を否定する認定判断をすることにもなり得るが、これは既判力の効果による結果にすぎないといわねばならない。

8  更に、控訴人は前記認諾は錯誤により無効である旨主張する。しかし、仮に右認諾の意思表示に錯誤があったことが認められるとしても、当該意思表示は被控訴人がなしたものであるところ、弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、右認諾が錯誤で無効であることを認めず、右錯誤無効の主張はしない意思を固めていることが認められるので、この場合、請求認諾の表意者でない控訴人が錯誤無効の主張をなすことはできないと解するのが相当である。控訴人は請求認諾調書が既判力を有することを理由に表意者でない控訴人にも錯誤無効の主張をなし得る旨主張するが、かくしては表意者自身の意向を無視し、その利益を害する結果になって、相当でないから、右主張は採用できない。

9  そうすると、前記認諾調書の既判力によれば、後訴である本件訴訟においては、右認諾がなされた平成三年七月一九日の時点で、別訴事件において認諾された請求である、控訴人と被控訴人間に被控訴人を賃貸人、控訴人を賃借人とする本件土地、建物の賃貸借契約が存在しないと、一応認定せざるを得ないところである。

10  しかし、前記3において認定のとおり、別訴事件における控訴人の請求の表現は、その真意と相違していて、適切を欠き、一部誤っている(その真意は、控訴人が附属建物につき賃借権を有しないことの確認を求めたものではなく、被控訴人が本件土地、建物につき賃貸人の権利を有しないことだけの確認を求めたものである。)ところ、被控訴人(ないしその訴訟代理人)は、右の点に気付いていたにもかかわらず、敢えて右請求を認諾して、その認諾調書の既判力を楯に、控訴人が附属建物について正当に有している賃借権を否定し、本件訴訟を提起したものであって、被控訴人の右認諾調書に既判力がある旨の主張は、前記認定の控訴人やその訴訟代理人の明白な過ちに乗じて、これを積極的に利用するものであるから、信義則に反し、許されないといわねばならない。

11  そうすると、この場合、本件訴訟においては、前記認諾調書の既判力により、前記9に記載のとおり認定判断することはできないといわねばならない。

四  以上認定判断したところによれば、控訴人は附属建物につき賃借権を有し、これを被控訴人に対抗できることが認められるので、被控訴人の控訴人に対する請求は理由がなく、これを棄却すべきである。

五  よって、右の判断と異なる原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宮地英雄 裁判官山﨑末記 裁判官富田守勝)

別紙物件目録〈省略〉

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